「あぁ、もうこんな時間か・・・」
見上げると時計の針は22時を指していた。
資料作成の進捗度はやっと半分といったところ。
「はぁ~、まだこんなもんか。」
誰もいないフロアで1人、僕は小さくため息をついた。
そうは言っても途中で投げ出すこともできず、
終電までの残り1時間半、僕は資料作りに励むしかなかった。
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大学を卒業して、システムエンジニアとして就職。
就職してから約10年、仕事のためにひたすら頑張ったと思う。
体調が悪くても出社し、プライベートの予定よりも、仕事を優先。
徹夜もしたし、休日出勤もした。突然の呼び出しだって対応した。
頑張りも認められ、運良くリーダーになることも出来た。
もっともっと頑張ろうと思った。
でもね、だんだんとその頑張りが追いつかなくなってきたんだ。
「なにやってんだよ」
「お前はどうしたいんだよ」
上司の叱責の回数も日に日に増していった。
毎日のように終電まで残業していた。
上司からもお客さんからもアレコレ言われ、常に板挟みの状態だった。
次第に僕の許容範囲を超え始め、いつしかキャパオーバーに。
そしたらね、なんか何もかもがわかんなくなった。
「僕は何のために働いているのか?」
「いつまでこんなことしているのか?」
「僕って会社の奴隷だっけ?」
ほんと、何をすれば良いのか、どうすれば良いのか、わからなくなっていた。
「誰か、、、助けて」
心の声がそう叫んでいた気がする。
それでも小さい頃からの刷り込みなのか
「逃げちゃダメだ」という考えが常にあった。
逃げることは「恥」だと思っていた。
だから
「僕がやらなくちゃいけないんだ」
「自分でなんとかしないといけないんだ」
そうやって自分を苦しめていた。
思えば僕は逃げることが出来なかった人生だった。
「根性なし」
周囲からそう思われることにビクビクしていた。
知らず知らずのうちに
「逃げること」=「恥」、「負け」
だと思い込んでいた。
だから逃げることは僕には出来なかった。
そんな風にだましだましで頑張っていたら、心も身体もどんどんおかしくなった。
「喜び」「楽しみ」といった感情は僕から消えていき、「辛さ」「苦しみ」といった感情だけが積もっていった。
何を見ても、何も感じなくなっていた。
四六時中、負の感情が僕の中でうずまき、ずっと「死にたい」って日常的に思っていた。
もう限界だと感じたとき、僕は「抑うつ症」と診断され休職になった。
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いま思えば逃げても良かったと思う。
もっと人に頼って良かったと思う。
「今の僕には出来ない」とか
「だから教えて欲しい」とか
「助けて欲しい」とか。
言っても良かったんだ。
「逃げる」=「恥」、「負け」
と思っていたから出来なかったけど、そんなことはない。
たとえ「逃げること」が
「恥」、「負け」だったりしても
それで良いじゃないか。
別に誰とも競争なんてしてないんだ。
だからね、
本当に辛かったら、逃げたって良いんだよ。
僕はなんとか立ち直ることができたけど、
もしかしたら取り返しのつかないことになったかもしれない。
大事なのは
恥をかかないことでも
負けないことでも無い。
自分の心や身体だ。
だから自分の心の声にもっと正直になって欲しい。
無理していませんか?
苦しくないですか?
本当に辛かったら、逃げたって良いんだよ。
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